2019年8月16日 (金)

縦書きか?

最近、「縦にかけ」石川九楊、という本を読みだした。
日本語は縦に書くようにできていて、脳の構造も縦に考え、書くようにできているという。縦に書くときと、横に書くときでは文章の内容も変わる、というのだ。
この考えは以前からあって触れたことがあった。が、私は内心、いつの日にか毛筆がなくなったように、横書きが市民権を得るのではないかという思いが今もある。
カタカナ言葉や数字が増えた時代に、はたして縦書きに拘るものか?しかし「漢字圏の人間の思考の底辺」に関わる部分においても、かなり強引に縦書きを訴えている。まだ読みはじめなのでたのしみに読み進もう。

2019年6月 8日 (土)

詩は…

私は俳句に属しているつもりでいます。
そしてつづきの会に参加させていただいています。
俳人金子兜太氏は、「俳句は詩、詩は肉体」といって言っておられました。
しかし「つづきの会」でいると、「詩は肉体」では、でも?、何かが足りません。
それはまだ私には何かわかりません。今の私の中では、つづきの会で
私達が向かっているのは「詩は肉体」のみならず、なにか叫んで外に向かって、
訴えようとしているのではないか、訴えねばならないのではないか。
と思うようになりました。
俳句と川柳という内面を表す言葉に関わっていながら、
恥ずかしながらまだまだ模索しています。自分の「575」で
何か表せないものか。何を表したいかが大きな問題です。

2018年11月26日 (月)

11月つづき

つづきの皆さま

俳句で出てきた私の疑問を検討してくださり、ありがとうございました。
難解句も多く、良さや解釈を言葉で表すのが困難なこともしばしばです。
なぜ自分の心に留まったのかを、分析したり、解釈の言葉に置き換えて
自分につまびらかにしておきたいといつも思います。
その作業は鏡で自分を覗いている気がします。

2018年7月 4日 (水)

鹿の名前

鹿の名前のことで、みんなで楽しんでいますね。
生きものには名前を付けて親しみを持つのでしょう。
そうそう、犬、猫、金魚、インコ、鈴虫、兎やら飼いました。
名付けるって愛情こもりますね。親が子に名づけるように。
さて、私が鹿に名づけるなら「んか 」がいいな。
この頃テレビの低音も聞き取りにくいし、
視界もしばしば美しいガスがかかって、
「んか」って鹿となら仲良くできそう。

2018年1月 9日 (火)

明けましておめでとうございます

連作という勉強をしていますが、解ったようでいざしようと思ったらなかなかできません。
私にとっては川柳ということの本意に触れるための道なのだろうかと思いながらいます。
終点のない道のりがいい感じです。

2017年8月13日 (日)

おいしい。

みなさまご無沙汰、ごめんなさい。

楽しくて笑い転げながら句会へ行ってはいるものの

もっと真剣で深いことらしい。

 

わからんようなわからんようなことが多いけれど、
わからんから求め続けられる気もする、

歯が立たんものもおいしいな。

 

2017年5月 1日 (月)

吟行5

 

久し振りの続きの会の吟行だ。

俳句の吟行とどこか気分が違う。

 

なぜだろう。この気持ちはどこからきているのだろう。

俳句の仲間の吟行と川柳の仲間との吟行の心持の違い。

これが分析できれば、自分にとっての俳句と川柳が整理

できるのかな。

 

続きの仲間は特に楽しくてリラックスしてしまう。

これも作品に現われてしまって、よいのか悪いのか。。。。

続きの会ではタブーなしのプアプアの能天気でいられるのかな?

これで、奥行きや深みは出ない、考えない自分そのままだから

仕方ないか。

                    環

 

2017年1月18日 (水)

焚火

続きの会に再入会させていただき感動しています。感謝感謝です。


柊センセ、みなさん、何も空間がなかったように快く迎えてくださったこと、

不思議な思いです。

私は柊センセに、何よりも人間としての姿勢を嗅ぎとりたいと、最初からずっと

思っています。


川柳とか俳句とかは私ごときにどうせ知れているものしかできないこともずっと

思っています。

自分というにんげんに触れてみたいための「句作り」で、生まれる「句」は

付随するおまけ、またはその残滓かとも思います。

でも、柊センセの生き方を少しでも遠くからでも嗅ぐことが出来たら素晴らしいと

づーーーと思います。


そして時間空間を瞬間に消してくださった皆様。。

この饒舌にも言い表せません。ありがとう。


深爪の焚火を離れられぬまま。。。みんなあたたかいもの。

 

2016年11月12日 (土)

視点

桐子さんの「が」

興味深く拝読いたしました。

私も俳句で最初の頃「が」は流れが悪いし濁音であり、

俳句は歌だから綺麗な音がよい。とか聞き、同じだと感じました。


今は、流れをわるく作ってみたり、きれいな音をわざわざ避けても

よいような気がしています。

既成の美意識を離れたいと思います。

そのほうが綺麗に作るより断然難しく、なかなかできません。


良い視点を下さり改めて考えました。ありがとうございました。

 

鼬伸びては弁慶の橋の下  環

2016年10月 3日 (月)

貴重な能天気

久し振りの続きの会は健全な笑いに始まり、そして終わった。

わかったようなわからんような、、、ことも以前と同じ。

みんなの真剣な探究心を芯として笑いが湧き出ずるものでありまする。。

ひいらぎさまの余りにむごい本音は、悲しみさえも、あまりに明るすぎて

笑わずにはいられないのだ。

むごい真実も、かっこ悪い現実も、愛すべき自分。

どんなにぼろい自分か、よーおよーお見ておかんと。。。

これがたのしみでねえ。。。

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