桐子

2021年3月12日 (金)

らくだ忌川柳大会

延期になっていた筒井祥文さんの追悼句会が開かれるそうです。
今度こそ、開催できますように。

O1080152614908713756

 

 

2021年1月28日 (木)

「座」はどこに

コロナが予想以上に長引くうちに、いくつかの句会、大会が閉じてしまいました。
あの披講を聴く緊張感や、会場や懇親会での柳友とのおしゃべりして、笑いあって……
ひっくるめて川柳のたのしみだったのだとしみじみ感じます。
誌上句会は増えましたが、参加人数はどうなのでしょう?
コロナ禍ももうすぐ一年、川柳離れは始まっていないのでしょうか?

同じ短詩系でも、若い人の多い俳句や短歌は、オンラインの句会、歌会が増えてきています。
川柳は平均年齢が高いので、パソコンやスマートフォンを使い慣れていない人を置き去りにしないよう
あたらしい句会を模索していけるといいなと思います。

オンラインにもいいところはあって、住まいが遠かったり、家から出られなくて
これまで句会を諦めていた人も参加できます。
きっと必要なのは、個別のデジタルサポートですよね。
こうして書くことで、そっちに強い方が動いてくれるかもしれないと期待して。


2020年12月28日 (月)

ことばになる町

先日、久しぶりに俳句の吟行に参加しました。
2017年に散歩会がなくなって3年。
一人吟行を試したこともありましたが、やっぱり一人では句ができませんでした。

長田の町をぶらぶら歩きながら、町を切り取っていく。
鉄人、商店街、漁港……
だんだんと川柳の眼になり、
町の断片とことばがつながってゆく。

やっぱり吟行っていいなと思いました。
来年は、あたらしいかたちの吟行ができないかなと、
ぼんやりあたためています。

  極月のクレーンの首百合の首  桐子

 

 

2020年10月17日 (土)

たまご

Ac1ad9c0

瞬間ということを考えていたら、こんなのを見つけました。


 

2020年10月 7日 (水)

問うコロナ

前回記事を書いたのは5月で、まだ緊急事態宣言の最中だった。
あれから5ヶ月。
外に出るとき、家の鍵といっしょにマスクを手に取るように
少しずつwithコロナ生活に慣れてきた。
7月からは、週に2日のギャラリーの仕事も再開している。

ある画家さんのことば。
「コロナで美術館もギャラリーも閉まったままで、
このまま絵を発表できなくなったらどうなるんだろう?
だれのために描くんだろう?そんなことをずっと考えました。
だれにも見てもらえなくても、絵を描くだろうと思ったんですよ。
だから、命のあるかぎり描きます」

なぜ書くのか?
句会が休止しても、やめようとは思わないのか?
表現のたのしみもさることながら、
川柳的にものごとをとらえることや、見出すこと
日常も私もがささやかに変化することのおもしろさ……かな。
それは、だれか他の人の句からもたらされることもあって、
やっぱり句会は恋しいと思う。

会うってなんだろう?
今、しきりに考えています。

  十月を足でひろげるヨガマット  桐子





2020年5月15日 (金)

アクリルのむこう

自粛生活が長引くほどに、ほんとうにしたいことが絞られてきた。
緊急事態宣言が解除されたら、まず行きたいのは図書館、本屋さん。
読みたいだけなら、ネット通販で買えばすむ。
書架の本に囲まれるだけで、気持ちが落ち着く。
背表紙に惹かれ、手にとって、一冊と出会う……。
人付き合いの下手な私なりの、人とのつながり方だったのだと思う。
それから、次はパン屋さん。
徒歩圏内には好みのパン屋さんがなくて、おいしいパンではじまる朝が恋しい。
私にとっての不要不急は、本とパンだった。

川柳?
時間も空間もぽかんとあいて、ことばが遠くなっている。
遠巻きにしたことばから、あたらしい発見があればいいのだけれど……。
透明なさやの中の豆のように、まわりを見つめ直している。

  どちらからともなくうたう雨と豆  桐子

 

2020年3月 3日 (火)

ことば

昨年から、歌人の牛隆祐さん、詩人の櫻井周太さんと、「フクロウ会議」というユニットで活動している。
昨夏に「蕪のなかの夜に」という本を出し、先月ことばとアートのイベント「アルデバランを踏まないように」を開催をした。
森をイメージした展示。朗読、歌会、トーク、ダンスパフォーマンス(漂流詩)…ことばをたのしんだ4日間だった。

Img_2179
私は、ハーバリウム にヒントを得て、試験管に川柳を浮かべて木に吊り下げた。ことばの木だ。水に浮かんだ文字は、果実のシミやタネのようでもあり、葉脈のようでもあり、気配で何かを伝えていた。すれば、葉脈も、タネも、果実も、読めるのではないか?

 

 

 

 

コロナウィルスの感染拡大で、なるべく家でおとなしくしているように言われている。句会も中止だ。今日は、家のなかのものを読んでみよう。そういえば、昨日おじいちゃんがくれた人参。…なにやらもの言いたげである。Img_2187

 

 

2019年12月30日 (月)

進化する笑い

今年さいごの句会から帰宅すると、ちょうど漫才グランプリ「M1」が始まるところだった。
よく知らないコンビも多くて、あまり期待していなかったのだが、笑った、笑った。
笑いながら、今年の笑いは何か違うぞ…と思っていたら、ツッコミが違う。
これまでのツッコミは、「なんでやねん」式に相手を強く否定、あるいは罵倒、はたまたどついて笑いをとったが、今年のツッコミは、相手を全肯定する、どこまでも寄り添うといったスタイルが見られた。
笑わせ方も、相手の容姿やジェンダーいじりが減って、人を傷つけない笑いへシフトしつつある。

川柳のお家芸とも言える「笑い」。ここにもまだまだ可能性はありそうだ。



  で、としか言ってくれない京都タワー  桐子

 

2019年12月13日 (金)

「座る祥文 立つ祥文」

筒井祥文さんの遺句集が、近しい方々の手で編まれた。
祥文さんらしい、シンプルな装幀。表紙には、句会で見かけた考える祥文さんの似顔絵。裏表紙には、おむすびみたいな祥文さんの背中が、いかにもシャイな祥文さんらしい。すみずみにまで、大勢の人のこころが込もった句集だと思う。

(川柳や…)と思いながら三度読み返し、読むたびに付箋が増えた。さりげなさが、極めた芸のようでもある。

 

   老人が違う光の中にいる

   ころんと転がる一瓶の夜景

   水垢を水で洗えば佐渡おけさ

   音の出るものを天神さんで買う

   よろこびのびの字を猫が踏んでいる

   光年というヨーヨーの紐の丈

   鳥の声 水は力を抜いている

   あり余る時間が亀を亀にした

   正しいと思うところに鼻をおく

   人としてキリンの下を通ります

   伝説の幅を計れば二寸五分

   仏壇の奥は楽屋になっている

   二周半ちょっとで奈良漬けの角度

   人間を三人埋めて余る土

   何となく疲れて海に腰かける

 

2019年10月29日 (火)

川柳と川柳性

10月のつづきの会で、「川柳性」を意識した作句、選句をと言われた。
川柳が川柳であるところの“川柳らしさ”とは?、ずっしり抱えて帰った。

10月のねじまき句会では、雑詠に出された句について「これは川柳ですか?」という疑問が投げかけられた。
川柳かどうかと、おもしろいかおもしろくないかは別問題だ。無点だったことで、出席者には作者の意図が伝わらなかったことは言えるが、川柳かどうかについては意見が出なかった。川柳観の問われる難問だった。

川柳は俳句のように約束事もなく、自由に書いていいと言われる。ネットを中心に、あたらしい川柳も日々目にするようになってきた。
なぜ川柳で表現するのか、川柳で何を書きたいのか、川柳をどう評価するのか、問い返すときかもしれない。

   転居不不先不不不明鳩の足  桐子

   

 

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー