真理子

2020年5月 4日 (月)

苺。

こんな時代になるとは夢にも思わなかった。

いつもの暮らしをうまく思い出せない。

 

日ごとに濃くなり世界を蝕む影のない影。

顔半分隠すマスクは、自らを社会を守る白い防護壁。

誰とも触れ合わぬよう身を縮め、買い物の列に並ぶ。

そして五月になった。

 

ベランダの鉢植えの苺がふくらんできた。

白い実が赤く色づいてゆく不思議。

ちいさな発見をちいさな喜びとして、静かにこの嵐の

過ぎ去るのを待とう。

 

 

2020年2月16日 (日)

馬酔木

梅はもう咲いたかしらん、と植物園に出かけた。

かすかに梅の香はするも、まだ木も白い蕾も固く身構えている。

むしろ紅梅の花が満開に咲き、愛嬌をこぼしていた。

馬酔木のベル型のつぼみは、いつもより早く半開きの口。

昔、馬酔木の句を作ったな、と古い記憶を手繰ってみる。

 

     馬酔木びっしりうすら笑いに充ちている 

 

毒性の植物ということで、不穏なものを感じたのかもしれないが、

同じ吟行の時に作ったほかの句

 

      この先もつぼみは口を割りません     

      ありえへん言葉ぽっつり梅の花      真理子

 

きっと斜に構えていたのだろう。

 

 

2020年1月 8日 (水)

せりなずな

このところ、とんと食欲が湧かない。

どの食材にも心が動かずスーパーをうろうろする。

 

野菜売り場の「春の七草」に目が留まった。

「せりなずなごぎょうはこべらほとけのざすずな

すずしろ春の七草」と、口ずさみつつ買った。

 

笊にあげ、どれがどの若菜か検討してみる。

すずなは蕪、すずしろは大根、芹までは分かった。

はこべらはハコベのことだから、多分これだろう。

なずなは別名ペンペン草だから、この草かな。

と、すれば残ったふたつがごぎょうと仏の座。

検索してみると御形(ごぎょう)は母子草とあった。

馴染みのある母子草ならどうにかわかる。

仏の座の花は知っているが、若菜を知らずにいた。

 

さっと茹で細かく刻み、おかゆに入れる。

七草粥は、お腹にも目にもやさしい緑いろ。

春の息吹を分けて貰い、すこうし元気になれたかな。

 

  本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

 

 

2019年12月 6日 (金)

むべなるかな


むべの実を初めてみたのは十年ほども前になろうか。

中京の街の真ん中、宿の軒を飾るようにに赤い実が並んでいた。

緑の葉と赤い実のコントラストの美しい眺め。

宿の人に尋ねると「むべ」だと言われた。

 

思いもよらず、身近にその実はあった。

山のフェンスに這う蔓性の生垣の実がむぺだった。

木通(あけび)に似た、卵型の臙脂の実を一個貰った。

聞くところによると、この郁子(むべ)は、不老長寿(不死)の実との 

伝説があり、

その昔、天智天皇は大津の蒲生野で見かけた長寿の老夫婦に、

「なぜそのように元気なのか」とお尋ねになられたそうな。

「ここで採れるこの実を食べているためです」と老人が説明したところ、

「むべなるかな(なるほど、それはもっともなことだ)」と仰せられ、

それ以来、この実は年貢として献上されることとなった。

「むべなるかな」という言葉は、これが語源と言われている。

 

むべの実を割ると、中は殆ど黒い種で、その種の周りを包んでいる

甘いゼリー状のわずかな部分を食するのだが、口の中で種を分ける

作業が至難の業。

でも、不老不死の伝説の実を食べたので、少しは元気になれそうな・・。

 

   とつおいつ丸めてちぎる十二月     真理子

 





 

2019年10月10日 (木)

「韻」という題の選者をさせて貰った。

取っつきにくい題で、どう作ればいいかわからなかった、と

みなさんもひどく困られたご様子。

韻には響き、音、趣などの意味があり、余韻、韻律の熟語が

よく使われている。

 

また、漢字の最初の子音を除いた音、

例えば町なら、MA TIの子音を取ったAIが母音。

その母音を揃えた、KAKI-柿 TANI-谷 YARI-槍 。

韻を踏んだ句は耳触りが楽しい。

 

掛詞のリズムや響きで有名な「セブンイレブン、いい気分」は

耳に残るキャッチコピーである。

 

始まりや語尾に同じ種類の音を揃えたり、韻の表現は幾つもある。

佳句が多く最後まで悩みつつ手放した句に申し訳なさで胸が痛んだ。

韻の深さを思う。

 

   駱駝明るく生きているふり    真理子

 

 

 

2019年8月27日 (火)

虫集く

 

朝夕のひんやりした空気。夏は去りつつある。

友人の旅の留守に、鈴虫を預かることになった。


大きな広口のガラス瓶に、数多の鈴虫。

一匹が声を震わせると、共鳴して一斉に他の虫たちも

鳴き始める。

涼やかな輪唱、いや斉唱はオーケストラを思わせ、

その音色の深さに感動する。

 

「虫集く」、その名の通り集まっての虫の音楽会。

すだくという言葉の響きに、その表現に今更ながら

古語の味わい深さを思った。


茄子の馬を一頭、餌に放り込む。

これで、二、三日は持つ。


留守の間、無事に鈴虫を守れますように、と祈りつつ

今夜も静かに秋の音楽会。

 

 

 

 

2019年7月 3日 (水)

令和の雨

 

  令和元年梅雨より先に夏来たる  大橋文子

 

本日掲載の、朝日新聞京都川柳の一句。

なかなか雨はやって来ず、梅雨入りも記録的な遅さだったが、

さにあらず、七月に入って梅雨前線猛暴れ、九州地方の大雨被害が

ニュースに流れる。被害の少ないことを祈るのみ。

 

 雨が降る献花の山に雨が降る    上住こうい

 

朝日柳壇のもう一人の選者、藤本秋声さんが六月に逝去された。

突然の訃報に驚く。闘病中のことは存じ上げていたが、お元気な

顔を大会で見かけすっかり安心していた。

 

「川柳家だといって誇れるものなど何もない。ただ少し世界が広くなった

ことと、少し心が豊かになったことは、自分でもよかったと思っている。」

 

新年の選者特集に秋声さんが書かれたひと言を読み返し、改めて秋声さんの

お人柄を偲んだ。

こころよりご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

2019年5月24日 (金)

離宮。

修学院離宮はみどりに溢れていた。

近くに住んでいると、そのうちいつか、又今度と

予約する手間を惜しみ何十年も過ぎてしまった。

 

広大な敷地に点在する建物はこぢんまり如何にも風雅。

その上品なしつらえ佇まいに、存分に浸る。

元気すぎる鯉が遊びに出かけぬようにと、杉戸の絵の

鯉には網が掛けてあった。

その網を描いたのが、かの有名な丸山応挙という。


名高い絵師の、襖絵の桜も遠く暗く部屋の空気に同化し

沈んでいるのもゆかしい。


松手入れの時期で、庭師さんが丁寧に松の葉をむしって

おられるのを見ながら、夥しい数の松並木を歩いた。


隣雲亭、洗詩台の板の間ではどんな詩が囁かれ、借景の

田畑の農夫たちを、上皇の目はどう捉えたのだろう。

ほんのいっとき、時間を飛び越え私も離宮の風に吹かれた。

 

   手に足に風に尋ねる今むかし    真理子

 

 

 

 

2019年4月 8日 (月)

斜めの桜

あっという間に桜が咲きだした。

 

浅葱色の着物が目に入り、なんと春らしい色よ、と見とれてしまう。

真珠のネックス。シャネルスーツ。正装の人々が目指す先には、

満開の校門の桜が出迎える「入学式」の大書があった。

 

子供たちのおめかしも可愛く初々しい。

これからの学校生活が楽しいものでありますように、と願いながら

通り過ぎた。

 

途中、古い家の桜が斜めに懸命に枝垂れていた。

咲いてくれて、見せてくれてありがとう、と呟く。

 

    一礼ののち桜去る   

2019年3月 5日 (火)

春の鐘

三井寺に行った。

比叡平の辺りは、一面の霧で真っ白。

急カーブ続きの道をゆっくり下った。

霧は消えたが、天気予報通りの雨。

この、柔らかな雨の名を考えてみる。

春雨ではそのまんま。

そうだ、小糠雨、と納得する。


雨の名を指折り、三井の晩鐘の余韻に浸り乍ら

人の居ない広い境内をゆっくり巡った。

檜皮葺きの何層もの屋根に、雨はどこまで届くのだろう。

太い柱、床板の木目模様の美しさに立ち止まる。


ひとつ落とし物をした。

お気に入りのマフラー。

長いこと、私を温めてくれた赤いマフラー。

どこかで、心細げに雨に濡れているだろうか。


出あうのも失くすのも、これもご縁、と言い聞かせる。

少しさびしい春の始まり。

 

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