2018年4月12日 (木)

チンアナゴ

京都水族館へ出かけた。
コンパクトで魚たちをとても身近に感じられる。 

 

開館当時はぎこちなかったイルカのショーも、
年々うまくなり楽しませてくれる。

イルカに芸を強いるのではなく、一緒に遊んで
いるような演出も好ましい。


私のお気に入りは海月とチンアナゴ。

水に同化してしまいそうな海月は時間を超越している。

砂から生えキョロキョロと人間観察しているチンアナゴ。


いつまで見ていても飽きない。
ずーっと見つめていたら、
急に隅っこへもぐってしまった。
わたしなんだか嫌われたみたい。

 

 

   見つめられ瞬間移動チンアナゴ     くにこ

 

2018年4月 8日 (日)

入学式のさくら

今年中学校にあがるYちゃんのお母さん。「入学式までさくらが持たない…」と案じておられた。「じゃあ、先に写真だけ撮っといたら…前撮り、前撮り。何なら、画像加工して、満開にしてあげるよ」って、娘が言ってみんなで笑った。
でもこれ、数年後にはそうなりそうな気がしないでもない。成人式も結婚式も前撮り世代が親になって、記念写真は、記念よりも写真をのこすものになりつつある。

転んでタイツの破れた入園式。スキーのゴーグル型に日焼けした卒業式。一人だけ親が来られなかった親子遠足。前後逆にワンピースを着たお宮参り。曾祖母と祖母が泣き顔の初節句……あの日の写真が、あの日を語ってくれる。

句集の作品を整理したとき、一句から、いつ、どこで、どんな風にその作品を書いたか、またそれがフックになってその頃の自分を思い起こすことに驚いた。年数がそれほど古くないこと、寡作ということも大いにあると思うけれど、一枚の写真と似ていた。
いったいこれはどこだろう…だれに撮ってもらったんだろう…記憶にない写真のような一句も書けるだろうか?

  御霊抜く読経になってゆくさくら   桐子

2018年3月31日 (土)

花日和

晴れマークの日が続いている。
例年に比べ、一週間も早く満開になった。
川端通りも、疏水べりもふわふわたなびく花の雲。
 
花見気分の人々で、バスも電車も花の下も超満員。
雨が降らないせいで、咲いた桜も散らずにいてくれる。
 
千本今出川交差点の、緑がかった桜を見に行った。
大島桜のネームプレート。
白い花と緑の葉がかさなり、うっすら緑に見える。
桜餅の葉っぱに使われているという。
 
こんなにおだやかな桜日和が続くのもめずらしいが、
咲くときも散るときもいっぺんなのだろう。
 
 
  桜には聞こえぬようにするはなし    真理子
 
 

2018年3月26日 (月)

感吟

  どこからか吹く風 二ん月の満月    前田芙巳代

                     「凛」No、73  2018-春号

2018年3月22日 (木)

柊馬さんのポケット

つづきの会の例会はまず宿題雑詠の互選。
その都度3句、5句、選ぶのに難しい句が並ぶ。

 

なんとか選句し髙得点句から順に選んだ人のコメント、

最後に柊馬さんの感想。

「わかりまへん」「立ち止まれん」「報告句」辛口が続く。

褒め言葉としては、「あつかましさ」「リアリティ」。

助詞の使い方ひとつで変わる・・。

 なるほどと唸る。

 

  糊こぼし小指に紅を載せている     せつこ 

 

この句の「糊こぼし」が分からんと、みんなに言われた。

奈良の住人は、お水取りの期間中に売られるこのお饅頭に

殊の外の思い入れがある。Tuzuki_3

なんとか句にしたいと捻り出した一句でありましたが。

  

 

  鶴屋徳満 糊こぼし小指に紅を載せている せつこ 

 

推敲してみました。こんなもんで如何でしょう?

もう少し考えます。

 

最後に柊馬さんから

 

頭の中で白い夏野となってゐる  高屋窓秋 

 

半世紀以上前に、俳人が写生ではなくポエムを詠みたいと

挑まれた句との紹介があった。

 

つづきの会メンバーの桐子さんが句集「hibi」を上梓された。

句集には、作者の中に写生を超えた自分を抽象する力がみえ、

この事に因んだ俳句の紹介でもありました。

毎月、柊馬さんのポケットから様々な資料やテーマが出てくる。

 

4月は「hibi」から各自のお気に入り3句についての鑑賞をする。

2018年3月16日 (金)

面白い句

立ち止まって妄想させる句が在る。其の句のチカラに順応するというか、引き込まれるというか。

  クレヨンの同心円を吐き出して    湊圭史

「吐き出」すのだから、いわば順応拒否の感が在って、「同心円」状態の此の世の倣いへの反応が在り、其処に「クレヨン」という小児的な、あどけなさが示す、いわば素朴で一途な個我を認めてくれない世界のチカラが感得される。

  おにぎりの具や環礁に核のあと   湊圭史

海苔巻き状の、或いは塩昆布を芯にした「おにぎり」なのだが、其の海苔や昆布の採れた海域は、何処かの誰かが核爆発の実験をやったトコロではないか!

と読める。

ところが、此処から妄想が顕われて、「クレヨン」「おにぎり」のカナ(かな)文字の小児的感覚は、作者が幼児と共に在る日々のなかでの作句を思わせる―――のだ。

この、日常性に働く川柳性のチカラを、川柳人は好み合って居るのだなあと、再認識した次第。そして湊さん、子供に眼を向けているいいお父ちゃんだな、と。

(二句「川柳スパイラル」創刊号から)

2018年3月10日 (土)

ヘッドライト

良いものは良い。
ジャンギャバン主演のヘッドライトを観た。
1956年の作品、勿論モノクロである。
ギャバンといえば、私はアランドロンと共演した地下室のメロディしか記憶にない。
映画ヘッドライトにはぐいぐいと引き込まれた。
にんげん描写が丁寧、ギャバン扮する長距離トラック運転手の苦悩、そして家族、なかでも、末っ子がクリスマスの夜、夫婦のいさかいの声に目が醒めて母さんが手作りのサンタの衣装からサンタの面を引きちぎるのを目撃してしまう。
サンタっていないんだ、呟く小さい背中、また失業中のギャバンと奥さんがパーティーで踊るシーン、奥さんが少し弾んでもギャバンに置いてきぼりにされる感情の綾など。切ない。
ギャバン演じる長距離運転手、日本俳優だったらだれかしら、考え込んでしまう。

 化睡からギャバン起こしてあげなくちゃ 彰子

2018年3月 4日 (日)

手間

衝突の肢     竹中宏

  衝突の肢ほどきあふ水馬

  完璧な卵にそそぐ蝉しぐれ

  水からくり母の眠りはいづれ覚む

  向日葵ありそこが谷間であるごとく

  鶏頭や水からあがる犬の脚

  黒葡萄最後眠りに身を賭ける

 

さくらの落差   上野遊馬

  ぬれぎぬと枝垂櫻は言い張るか

  さくらいろしたソメヰヨシノが嫌ひです

  コキュコキュと缶詰を切る花の夜

  ひとひらの花の果てなる流水算

  春秋の象形(かたち)としては截ち鋏

  うぐひすの素頓狂を愛といふ

川柳ぽさを感じる。でも、違う。やっぱり俳句だなと思う。たとえがお粗末だけれど、土井善晴さんの創作松花堂弁当みたいな。盛り付けも、あしらいも、和テイスト。何より、お出汁が効いていて、素材のうま味を引き出されている。けれどあたらしくて、驚きがある。(見たことも、食べたこともないけど)

ことばにするまでの手間、ことばを選ぶ手間、ことばとことばを合わせる手間を惜しんでいないと思った。

2018年3月 1日 (木)

つっかい棒

大切な人生の先輩が入院された。

世間に疎い私には分からない事が多く、頼りにしていた方で、

京都のしきたりや心がけ、挨拶の仕方など教えて貰った。


忖度しながらも、京都の付き合いは口と腹では違うこともある。

一方、それが文化だという解釈もあるにはあるが・・・。

 

近頃、身の回りに病気や親の介護で疲れている人が多くなった。

自分もそういう年代になったのだ、と思う。

 

 

    つっかい棒たわむ小石を積んでいる      くにこ

2018年2月27日 (火)

おおかみ

如月つづきの会は二枚の俳句作品から始まった。

 

 衝突の肢ほどきあふ水馬(みづすまし) 竹中宏

 葛餅をモノノアワレに分類す        上野遊馬

 

上野遊馬を読む「さくらの落差」を読む

柊馬さんの書かれた鑑賞文も併せての勉強。

 

俳句への素朴な疑問のひとつに、

あふの「ふ」 嫌ひの「ひ」 うらがへすの「へ」

なぜ旧かな文字なのだろう。

季語、切れ字の意味は。

川柳に縛りがあるのかないのか、それすらよく

わからないまま、私は川柳を続けている。

 

金子兜太氏が亡くなられた。

「海程」をずっと購読されてた方から聞いた話だが、

領収書に直筆で「お元気を」とあったそうだ。

この「を」の余韻に、私はぐっときてしまう。

 

おおかみに蛍が一つ付いていた       金子兜太

 

«にら玉