2018年2月19日 (月)

にら玉

もう少し千野帽子『俳句いきなり入門』から。


「口語俳句っていうのは、それが俳句として直接書かれたと考えるんじゃなくて、

だれかが口に出していったことを記録した、って
考えたらいいんです。


漫画の四角いコマがあって、そのなかに
フキダシがあると思ってください。

で、<卒業式犬連れてっていい
ですか>って書いてある(ここちょっといじりました)。


 でも登場人物は描いてない。背景も真っ白。さあ、だれがどういう状況で、この台詞を

言ったのか。と考える作業が楽しかったら、
その俳句はいい「口語俳句」なんです。」

 

 

それで思いだしたのが次の句。

 

  そりゃあ君丹波橋なら韮卵    くんじろう


くんちゃんかもしれない、しかも料理好きに<そりゃあ君丹波橋なら韮卵>。

「どや、軽く一杯」などと言われれば、のこのこついて行ったりして。

いやはや説得力のある句であります。


 

2018年2月15日 (木)

ボケ

ふとテレビ。画面に緒方拳。あっと「・・・」その名前が飛んでいって、我が記憶、もがけど、出てこない。

半世紀以上も前に南座で新国劇を観た。若い有望な役者が新国劇を若返らせるとか、スター誕生とかの触れ込みで、緒形が溌剌、確かに光っていた。

ヤクザな兄貴の役の島田正吾が腕まくりをして花道を駆け込んだ後から、可愛げに腕まくり、七三でチョット見えを切って、客席から拍手と掛け声をもらった緒方。ああ芝居で声を掛けるタイミングはこのように掛けるのかと、緒方より年下の当方はちょっと大人になった気分。忘れられない観劇であった。それ以来の緒方の名前だ、忘れる筈がないが其れが突然、処かへ飛んだ心地になった。画面のご当人を見ながら懸命に思い出そうとーー、努力ーー。焦っている自分が見える感じで、同様のことが人の名だけではなくーーー起こるボケ状態。

此れが川柳関係の原稿を書いていて起きる。先輩の名や柳誌の名や記憶の場面などが、飛ぶ。突然其れがトイレで思い出されたりして。

結果、これまで書いていた川柳関係の雑文の思い違いや重複や書き直しなど手間が十倍ほど掛かって―――ボケとは凄いものですぞと自分に言い聞かせている。

1950年代の末から同60年代の末ころまでの間に、川柳は大きな曲がり角を曲がった。とりわけ1963年前後の『類題別番傘川柳一万句集』の刊行、句集『新子』、河野春三の個人誌「馬」で、複数の川柳人の表象の先進化など、其れを見ていた冨二の視線と共に書けば書き易いはずだが、苦戦。

そのうちに書きますので、当面ご容赦!

2018年2月 8日 (木)

その森が…

テレビをつけたら、たまたま森が出てきて切株があった。 その風景に見覚えがある気がして、しばらく見つめていたらふいに思い出した。

    その森にLP廻っておりますか   柊馬

切株の年輪が、まるでレコード! 一本の木の生涯の音楽が、流れ続けている。 童謡唱歌から、昭和歌謡、映画音楽にジャズ……。

一句が、風景にものがたりを与える…なんかもう、ぐっときた。

2018年2月 4日 (日)

句集

 

30年2月

 

句 集

 

 2月になって今日は節分。
昼間のテレビで壬生狂言を
見たからか、日が暮れると
壬生寺の賑わいが恋しくなる。

古いものを古いままに、が、壬生狂言の良さだ。

 桐子さんの句集 hibi。


一句一句の空間が好きで、つい
読み返している。
個性が行き渡っていて眩しい。
ひろい海の波間のような句集だ。
読むものはただ漂っていれば良い。

 

  おとうとはとうとう夜の大きさに

  片陰のすっとからだに戻る影

  えんぴつを離す 舟がきましたね

 

作品たちの実感にハッとさせられるとき、光る刃先。
魔性的な桐子スマイルに嵌ってしまう。
素敵な人だとさらに思われた。 

 

      暇つぶしの場所にすわっている烏     きくこ

 

 

 

2018年2月 3日 (土)

遊園地

「 光の遊園地」というポスターに惹かれ夕刻から近くの遊園地に出かけた。

何万球かのLEDが日暮れに一斉点灯され昼間と異なる世界になるはずだった。

 

だのに雨、しかも本降りみたいだ。アトラクションも中止。

もともとキラキラのゴテゴテが好きで、電飾は今を離れる方法だと思っていた。

プロジェクションマッピングで別世界に旅したり、光の中で宇宙を彷徨ったりと

異次元の体験ができると思っていたのに。


神様の意地悪。

 

     電飾に潜む 鋭角の陰色      くにこ

 

2018年1月22日 (月)

うずら


お正月の後始末を済ませ、ほっとしたのもつかの間、

つづきの「連作」の宿題の締め切りが迫る。


風邪気味のふわふわした頭に、一枚の絵が浮かんだ。

昔の職場に掛かっていた、ルオーの王の絵。

蒼ざめた貌は哀しげで、その壁自体が沈んで見えた。


ある日、その絵が本物だと知った。

無防備に掛けられた絵が本物とは夢にも思わなかったので

知ったあと、落ち着いて眺められなくなった。


去年、居なくなった人と重なり、ますます王の貌は蒼ざめてゆく。

連作と群作の違いもわからず、連想するままに句を作った。


脈絡のない句のかたまりを、「夜咄」という題でひとくくりにする。

なんでもありのずるいやり方だが、自由に作れて面白かった。

今回で、連作はお終い。

 

     いっさい鶉(うずら)しらんぷり      真理子

 

 

2018年1月15日 (月)

脱 ! センチメンタル

昔なら15日は松の内。

「おめでとうございます」もまだ許されるだろう。
 

桐子さんの「私性からも、詩性からも、はじめて解放されて書けた気がした。

日ごろの書き方では書けなかった句が書けたと思う」

のうれしさは、なんだかわかるなあ。

それだけ私性、詩性というベクトルは根強いのだと思う。

 

僕の場合、重い荷物を勝手に背負って、重たがっている。

自分の中に居座っているものと、それに反発するものがあって、

つまり一枚じゃないってこと。

  

今年の目標は、脱センチメンタル。

といいつつ、センチな連作で今年もスタートです。

 みんな笑えよ~。

 

「残り福」一月句会

宿題「晴天の霹靂」  くんじろう選

 

 帰ったら家が更地になっていた    ひでお

 

 

2018年1月14日 (日)

凝り性

家人はとても凝り性だ。

小さな家だが基礎工事からコツコツと一人で建てた。

写真も現像から写真展までもした。

海釣りやヘラ釣りの浮き作り・・・数え上げれば切りがない。


最近は燻製と魚の一夜干しにご執心である。

燻製は当初、フライパンでしていたが、それに飽き足らず燻製箱を

手作りし、カシュー塗料を施してタイマー機能を設置して

ご近所までも燻製している。

チーズ、・半熟卵・サーモン・鶏の胸肉・ソーセージなど

ご相伴にあずかっている。

昨日は鰈の一夜干しが夕餉に・・・・・。

美味しいものに目のない私、どうも骨まで愛したようである。

喉元がチクチクする。

おばあちゃんが言っていた。
ご飯を丸呑みにとか、カステラを食べなはれ
とか


いろいろ試しているのだが。何かの罰かしらん。

 

 

  食い意地の尻尾に並ぶ赤い糸   彰子

2018年1月 9日 (火)

明けましておめでとうございます

連作という勉強をしていますが、解ったようでいざしようと思ったらなかなかできません。
私にとっては川柳ということの本意に触れるための道なのだろうかと思いながらいます。
終点のない道のりがいい感じです。

2018年1月 3日 (水)

明けましておめでとうございます。

おだやかな年明けとなり、過ごしやすいお正月でした。
みなさまお揃いで、良いお年を迎えられたことと存じます。

わが家も豆台風が過ぎ去り、いつもの静寂が戻ってきました。
孫は来てよし帰ってよし・・の実感です。

柊馬さんの近況を読んで、とても安堵いたしました。
去年の今頃を思い出し、なおさらの喜びです。

今年も、より良き一年となりますように。
みなさまどうぞよろしくお願いいたします。
 

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