2017年6月23日 (金)

恋はみずいろの涙の

「大衆性と進歩性は、なかよくできない」。今月の柊馬さんのことば。

母は文芸とは無縁だが、TV「プレバト 夏井いつき俳句査定ランキング」は大好きらしい。川柳人も観ている人は多いようだ。
番組のなかでは芸人さんの活躍が目覚ましく、作詞も手がけるミュージシャンなどより、ランキングが上のことが多い。
歌詞というのは、ベタなものが多い。愛してる、会いたい、会えない、抱きしめて、忘れない、伝えたい、ずっと、いつか、きっと……。繰り返されてきた、こっ恥ずかしくなるような甘々でストレートなフレーズは、新しいメロディにのせるからそれでいいのだろう。
けれどお笑いネタは、そうはいかない。誰もがまだ気づいていない、言っていないことを、差し出さなければ笑いにつながらない。
だから、ちょっと視点をずらすことで見える、「あるある」を見つけだすのが上手いのだと思う。「うんうん、分かる」だけではない、「!、それー」と感嘆符が前につく共感を狙っている。

そして私の、下手なフォークソングみたいな句(笑)

 天気予報の傘のみずいろの午後  桐子

2017年6月19日 (月)

単純

朝、マイルス・デイビスについての番組、一時間。以前に見たものの再放送だが、あらためてマイルスと、ジャズの宜しさを感じて、ちょっと満足。

夕方、志ん朝についての一時間番組。

老人向けのテレビ番組はそれなりに在るのだがキライ。だが本日は、殆ど無い、マイルスや志ん朝の、それも評価が語られていて、常識的であったが面白かった。

実は昨日、日本人のファドの歌手の訃報をmixで知った。書き込みに、その歌手の「暗いはしけ」の貼り付けがあって、たちまち感嘆。なにしろ半世紀以前の映画『過去を持つ愛情』で知った名曲、その哀調が蘇って、胸一杯になった。

知らなかったとはいえ、凄い歌い手が居られたことに感服。

明日のつづきの会は宿題が各10句。皆さんシンドイことだろうと思いつつ、いじめてやるぜと、若干、気力がよみがえったテレビとネットで在りました。

体力、着いて来い、と思いつつ。

2017年6月17日 (土)

蕎麦の宴

町内に数年前のオリンピックマラソン走者、野口みずき氏の監督を

務めた方がおられる。

そちらのお宅に素敵な暖簾が掛かっており、前を通る度、我が家の

玄関にも・・・・と、常々思い描いていた。


デパートへ出かけたが値段のほうで折り合わぬ。
ネットで調べると
案外リーズナブルで、早速購入した。


透き通る小豆色の布に白く水連が抜いてある。
幅85センチ、長さ
180センチ、初夏の風におっとりゆれている。

 

今迄ちょっとそこまでの外出にいちいち鍵を掛けていたが、嬉しくて

うれしくて玄関は開けっ放しにしている。


軒下には、ブルーの紫陽花、斑入りの白と紫の額紫陽花が口角を上げ
微笑んでいる。

上がり框に沓脱石も置いた。

 

もうすぐお昼

ケアマネージャーさんと、親切にして頂いた事務のHさんが我が家の
蕎麦パーテイに
いらっしゃる。
これから私は田舎蕎麦用に大根と格闘せねば!!

 

 

    

額紫陽花の記憶の底に降りてゆく   彰子

2017年6月 5日 (月)

おぼろぼろ

今年の春はきつかった。

予期せぬ事が次々起こり、天候まで暑すぎたり寒すぎたりと

定まらない。

お陰で体調は乱れ、気怠い日々が続いていた。

気持ちの整理がつかず如何にでもなれと夜の散歩に出掛けた。


空には朧月。

だが、どう暮らそうと明日は来る。

この際溜息は殺し、今夜までをシャットダウン。
新しいページに移動する事にしよう。   ....お月様



   おぼろぼろ溜息殺しよーいドン   くにこ

 

2017年5月31日 (水)

多読多作

多読はともかく、多作が苦手です。

散歩会でも、とうとう最後まで、たくさん書くことができませんでした。“かっこつけ”なんだと思います。ものすごくいいように言えば、完全主義。多少の破綻やキズを恐れずに書きたいと、毎回思いながらできませんでした。

それで思い出しました。幼稚園から、妹といっしょに習字教室に通いました。私は、お手本の通りに書こうとするので、小ぢんまりとまとまった字。妹は、好きに書いて、半紙からはみ出す勢いの字。おまけに、書いて書いて書きまくって、文字を自分のものにしてしまいました。それは、子どもの目にも訴えかけるもののある魅力的な字でした。十年ほど習いましたが、結局私は、自分の字が書けないままに終りました。

多作もいろいろなやり方があると思います。私にとって、自分の殻を破るような緊張感のある多作は……と、考えるヒマがあったら1句でも書いた方がいいのでしょう。明日から、6月。宿題の締切は13日!!

2017年5月21日 (日)

ことのはの木

引っ越して庭がなくなった。

今までの鉢植えの幾つかをベランダの隅に並べ、

ささやかなマイガーデンを朝夕眺めている。

 

レモンの木も、ブルーベリーも、知り合いの畑に

移植させてもらった。

鉢の中で根詰まり気味だった木も花も、のびのび

根を葉を広げ、その勢いはまぶしいほどだ。

何年も咲かずだったレモンも、七輪花をつけた。

 

陽ざしを風を雨を存分に享受、木々は見る間に

自由を生気を取り戻した。

ブルーベリーのびっしりとした実りをみていると

「言の葉」の木も、植え替えできぬものか、と

できもしないことを考えている。

 

先日のつづきの会、柊馬さんが一番乗りだった。

怠けすぎの私たちに、多読多作を諭され、次回は

膨大な(我々にとっては)宿題が課された。

 

ペットボトルの蓋の上数センチにある「詩」は、

どうやって捉まえられるのだろう。

根詰まり水枯れの頭を、さてどう揺すろうか。

                                                                                                                  .

2017年5月 9日 (火)

一句感想有難うございます

柊馬様、一句感想有難うございました。

 

     奉献の提灯の名を読んでいる    ひでお

 

実は、この句、自己模倣の句と言われてもおかしくないのかもしれません。

ただ、自分では、自己模倣というより、これが自分のベースなのかなと

思ったりしています。

川柳凜は、いしづみ川柳教室と合同で、年に一度吟行を行っています。

凜が発足して2年目の2002年10月、洛東の霊山観音で吟行会がありました。

「当日雑詠」 嬉久子選で抜いてもらった3句です。


      
      狛犬が笑ってくれて楽になる       ひでお

      細道に曲れば涼し二年坂          〃

      秋大祭寄進者名簿読んでいる       〃



それ以来十数年、自分では川柳についてあれこれ模索してきたつもりですが、

何ら昔と変わらない自分が顔を出したなとちょっとほろ苦い気持ちでいます。

 

 

 

2017年5月 8日 (月)

一句、感想

三条通りなら柊馬の生活圏だから、そして抗癌剤での悪戯が緩ければ来るのではとの配慮による、三条通りでの吟行がセットされた。ご配慮感謝!

披講の時間から参加。

 

  奉献の提灯の名を読んでいる   ひでお

 

此の句は刎ねられるだろうと見ていたが、案の定、無点。

その地域、三条通りの界隈堀川通り以西、千本通りまでの地域に古くから在って、在ることで普段は気に成らない存在、その氏子、商店、企業などの諸々が、神の御旅所か、小さな神域に提灯を奉献。その一つ一つの提灯に記された名を、吟行の眼が捉えた。捉えたと言ってもいわば、その町その通りに馴染んだ小さな神域の古提灯と、吟行者との距離感は日常的で安定感があり、これが一句を為させ、目につく名をなんとなく読んでいる自己を発見させたのが、うがち、川柳性であった。

穿ちが現実社会や実生活に在る様々な距離感を抽出させることは川柳人が心得ているが、忘れても居るのであり、いわば肉体化された川柳性が、此の句を引き出した。

そんな川柳の味なんか古イイイ――との知見、批評が在って当然だが、昨今の川柳の、虚飾による自己の顕示と、自己回収のチッポケで乾いた物欲しさの遣り取りに川柳性が働いている現実、これを、此の一句の存在感に照らし合わせると、悠揚迫らざる感はあきらかに吟行で発揮された川柳眼の働き、無欲で川柳味を愉しんでいる心境に在る。

かつて川柳性は個我に付いて私川柳を為し、其の近代性に辟易したところで、いわばポストモダンに川柳性が機能したのだが(例えば、言語への認識の更新)、当今では信用に足る個性などないところで卑小な自己顕示、奇矯とも見える安直な虚構性の遣り取りと自己回収の卑小さに川柳性が機能している。そして作者の求心性に急ぐゆえの下手さについて、川柳性は、何も言わないのである。「奉献」の一句「なんとなく」などの意識が川柳的に省略されている。此れから見ると近頃の川柳の下手さと大急ぎの作句に在る求心性は、省略が下手。川柳性の融通無碍であるが故の恐さを知らない面々は、「奉献の提灯」のちょっと怠い味のご味読を。

 

2017年5月 7日 (日)

吟行6

句会に使わせていただいたカフェ亜紀。

コンビニで清記コピーして戻ると柊馬さんの笑顔があった。

当日のメモを拾えば、「目についたものに引きずられている」、

「私が何を見たか、見なかったものは何か」、

「そのリアリティを大切にせよ」ということだったと思う。

つまり私の存在感を打ち出せということだろう。

他流試合をする桐子さんほどの度胸はないが、

僕なりの流儀を見つけられればと思う。

奉献の提灯の名を読んでいる     ひでお

菜の花のかごは空っぽ10時半     〃

又旅社蘇民将来祈願祭          〃

2017年5月 1日 (月)

吟行5

 

久し振りの続きの会の吟行だ。

俳句の吟行とどこか気分が違う。

 

なぜだろう。この気持ちはどこからきているのだろう。

俳句の仲間の吟行と川柳の仲間との吟行の心持の違い。

これが分析できれば、自分にとっての俳句と川柳が整理

できるのかな。

 

続きの仲間は特に楽しくてリラックスしてしまう。

これも作品に現われてしまって、よいのか悪いのか。。。。

続きの会ではタブーなしのプアプアの能天気でいられるのかな?

これで、奥行きや深みは出ない、考えない自分そのままだから

仕方ないか。

                    環

 

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